diary-sentencesのブログ

日々たらたらと小話的な物語的なのを書きます。

退屈な男 1

 

今日もいつも通り出勤。8畳ほどの敷地面積をもつ店舗に1人で立ち右から左、左から右へと流れてい「お客様」に「いらっしゃいませ」を言うのがオレの仕事。

 

ではなかった。


古びれたデパートの地下で日本人に馴染みのない「トルティーヤ」を売るのが仕事。

オレはオーナーじゃない。オーナーから

「近頃の売上の落ち込みは、従業員が"いらっしゃいませ"を言わないからだ」と言われたので「いらっしゃいませ」を言うことに重きを置いて働いている。

 

右から客がやって来た。言うまでもなく、「うちの店」には止まらない。

 「いらっしゃいませ」

 

6時間勤務がオレの基本。スーパーで1080円で買った腕時計を見てもまだ20分しか経っていない。

 

右から客だ。

 

部活なにしてたの?と聞かれるのが1番苦手だ。

世の中にはなかなか認知度の低いスポーツがある。その類のスポーツをおれはしていた。無論、部員はおれだけだった。意外にしんどいスポーツだ。そう。片足立ちし続ける競技。やじろべえ。という競技名。おれは右足専門だ。だから毎日右足を鍛えた。右足のみでけんけんをしながら歩いて家に帰るのは当たり前。筋力だけじゃなくて指先の使い方も大事になるから、週刊少年ジャンプは右足の指でページをめくっていた。競技者数が少ないのもあるが、おれの練習の成果もあって、全国大会で準優勝することができた。スカウトされ大学に入り、大学卒業と共に、大手企業の実業団に入った。そこで8年間プレーし続け、引退し、コーチ業に励んだ。そしてこの春、スポーツ界から卒業することになった。高校時代のあの全国大会で、、、

 

「いらっしゃいませ」

 

危ない。体つきがよいうえに、右足だけ異様に太い男が短パンに半袖で店の前を通るもんだから、絶対にないようなスポーツを思いついてしまったじゃないか。いや、もしかしたらあるのか?まあいい。

 

今度は左から客だ。

 

孫のマコトは、ワタシの作るおはぎが大好きじゃったなあ〜。マコトの母親が体調を崩した時に、代わりに弁当を作って持たせたことがあったんじゃ。滅多にない機会だから、マコトの好物ばかり入れてやったんじゃ。筑前煮、里芋の煮っころがし、ぶりの煮付けを入れてやった。そうじゃったそうじゃった。あと、おはぎも持たせたんじゃ。マコトの喜んだ顔が見たくてマコトの帰りを首を長くして待ってたんじゃ。そしたら、マコトが泣きながら帰ってきたんじゃ。周りの友達に、「お前の弁当、煮物ばっかりじゃーん」とか「なんでおにぎりじゃなくておはぎなんだよ」とか言われたらしいんじゃ。マコトはショックを受けたらしいんじゃ。そうかそうか、といってマコトの頭を撫でてやったのを今でも覚えとるんじゃ。マコトはどんどん成長していって、頭も良かったから有名大学に入って、今では和食系チェーン店を展開しているらしいんじゃ。墓参りでそうワタシに言ってきたんじゃ。今年のお盆は会えるかの〜。

 

「いらっしゃいませ」

 

危ない。店の前を、おばあちゃんの幽霊が通るもんだから、念が伝わってきてしまったじゃないか。危うく、仕事上で最も大切な台詞を言いそびれるところだった。

 

今日もまだまだ続くな、、、。