diary-sentencesのブログ

日々たらたらと小話的な物語的なのを書きます。

第三十八話 春

「じゃあ、そういうことでお願いね。」

 

突然の叔母からの電話の内容は、これまた突然のものだった。やっと冬の厳しい寒さも和らぎ、新しい緑をもうすぐ感じることができそうな日だった。

 

従兄弟がうちに1ヶ月ほど住み込むことになった。高校三年生の女の子。この3月に高校を卒業して、春からは東京に出てきて大学に通うことになったらしい。不動産の関係で3月いっぱいこっちに居ないといけないらしいが、まだ新居はあけ渡されないようで。それで東京に住む俺の家に住まわせてくれということだった。

 

いやいや、いくら従兄弟とは言えど、お年頃の女の子を家に泊めるなんて。とか思いながらも久しぶりにアイに会えることに心を躍らせながら、ホームセンターで布団や毛布を選んだ。

 

俺は部屋を余計に整理整頓して、普段焚かないアロマなんか焚いちゃって、トイレマットを新品に敷き変えた。今日、彼女がやってくる。謎の緊張感と胸のときめきを抱きながら空港に向かう。

 

いつも気にする髪型を更に入念にチェックして、服の小じわを伸ばし待っていると、3年前にあった頃の雰囲気は残しつつも明らかに大人びた彼女が現れた。彼女は俺に気付いていないようだったから、思ったよりもすぐ声にならない言葉を吐き出した。

 

こっちだよ、と声をかけると笑顔になってこっちに顔を向けた。

 

 

3つ上の俺のことを彼女は君付けで呼ぶ。なんとも可愛らしいが、なんかこの歳になって呼ばれるのは恥ずかしい。

 

話が滞るのが気まずかったのでランチでも行くか尋ねると、人が多いのは苦手だから家に向かいたいという。田舎から出てきた子らしいといえばそうだが、おとなしい子なんだろう。

 

というわけで家に向かう電車に乗り込んだ。

車窓から見える高いビルに驚いた顔をしている彼女を見ると、まるで自分の子どもかのように見えてきた。

 

家についた。

うちには割と広いロフトがあるから、そこを彼女の部屋にしてあげることにした。

 

従妹とはいえ年頃の女の子だ。その点十分に配慮していかねばと何度も言い聞かせている。

 

ひとしきり荷物を整理すると、彼女は寝てしまった。朝から乗り物にいくつも乗って疲れたのだろう。そっとしておいて俺は夕飯の買い物に向かった。

 

すべてにおいて考え込む。何を作ればいいのか、何が食べたいのかわからない。尋ねればよかったのだろうが、寝てしまっていたし起きていたとしても何となく尋ね切らなかった気もする。

 

無難にパスタを作ることにした。

 

帰宅するとちょうどロフトから彼女が下りてきた。

 

新鮮な光景だった。恋人はもう一年くらいいない。あまり家に友達を呼びたくないタイプなので、他人が部屋にいるのが珍しい。

 

目をこすりながら彼女は、おかえり、を言ってくれた。

 

何とも言えない感情になった。ただいまといえばいいものを変に考えて、

よく眠れたかい、ときいてしまった。大人ぶって”~かい”なんて。後から自分で思い出して恥ずかしくなった。

 

パスタは好評だった。もとから自炊をしていたので、簡単なものなら作れる。

あんまり外食も好きではないようなので明日もまた何か作ろうと、少し楽しみになった。

 

入念に掃除したお風呂から彼女が上がってきたころにはもう日付が変わるころになっていた。

 

明日は珍しく大学の集まりがあるから朝から活動しないといけない。

彼女はずっと家にいるらしい。また今度でかけようと約束して眠った。

 

冬の寒さが思い出されそうな気温の日だった。大学の集まりは思ったよりも長引いてしまい、夕方を過ぎて帰宅した。玄関の前で、今日の夕飯の買い物をし忘れたことに気がついた。まあいいかといったん帰宅すると、彼女が台所で料理をしていた。

 

今日もまた、おかえり、と言ってくれた。今日もまた、ただいまが言えず。料理してくれてるの?と尋ねると、昨日のお礼ですと言ってくれた。

 

味もおいしい。どうやら知らなかったが、春から食品衛生に関係する大学に行くらしい。料理が好きで、それにかかわる仕事をするためみたいだ。

 

後出しじゃんけんで負けてしまったような気になったが、自分以外の手料理を食べるのは久しぶりで、なんだか心温まった。

 

それからというもの、毎日ご飯を作ってくれる。外食もほとんどしない。思い出せるのは先週、二人で行ったカフェくらいだ。

 

もう彼女が来てから三週間が過ぎようとしている。

 

恋人でもなければ家族でもない。

 

そこに友情というものもなければ、身体が近づく関係もないし、反発しあう関係でもない。

ただ、彼女がもう少しで離れてしまうと考えると、すごく寂しい。毎晩こんなことを考えながら一人で寝ている。彼女は何を思っているのだろうか。寂しいと思ってくれてたらいいな、としか願えない。それを尋ねるのも何か違う。

 

何とももどかしい日々の中で彼女が度々、俺に温かい何かをくれる。それは、彼女の笑顔であったり、声であったり、すねた表情や、机に伏せて眠っている姿だったり。隣を歩く姿だったり、台所に立つ姿だったり。この一か月間で彼女は俺にたくさんの思い出をくれた。

 

もう明日には、彼女はこの家からいなくなってしまう。これからは頻繁に会うのもおかしい話だし、変なことを言って気にさせてもいけない。

俺はただの従兄である、と自分に言い聞かせている。

 

出発の朝になった。引っ越しはもうすでに業者が済ませているみたいで、あとは叔母さんと不動産屋に行くらしい。

 

駅まで見送ることになった。

 

歩いている途中、不意に「さみしいよ」

なんて彼女が言ってくるもんだから俺はなんて言えばいいかわからなくなった。

寂しいなんて口にしていいかわからないから、そうだね、とか、俺もそう思うよ、なんてまたあやふやに言ってしまった。

 

それでも、俺の言葉を聞いて彼女は目に涙を浮かべていた。拭ってやることもできないし、抱きしめることもできない。本当はこんな雰囲気で話していたかったけど、あんまり湿っぽくならないように会話をそらした。

 

駅に着いた。彼女はもう電車に乗り込もうとしている。彼女が別れの言葉を投げかけてくるから、今までありがとうというつもりが出てきた言葉は、じゃあね、だった。

 

俺らしいなと開き直り、家に向かって歩き出した。

 

桜並木には、ぽつぽつと桜が咲きだしていた。

やっと小さな春がやってきた。

 

彼女に対するきっと恋に近いこの感情の答えを、知りたいけど知りたくない。

 

ただ

俺の心に、小さな陽が差した時間だった。