第二十一話 傘
ここは都会のはずれにある小さな高級フランス料理レストラン。
今日も予約で満席。18:00の開店前から客がやってくる。あいにくの雨ではあるが、天候と料理の味は関係ない。むしろ雨のほうが客が少ないのではないかと知恵を働かせた客が予約をしてくるがそのようなことは皆考える。だからこの店は天候にかかわらず人気だ。
A夫妻が来店した。ギャルソンとはフレンチにおける男性ホールスタッフといったところだろうか。ギャルソンの田辺がA夫妻を迎え傘を預かり後輩ギャルソンの加藤へ渡し、席へと案内する。これがこのレストランのエントランスでの流れだ。B一家が来店。傘を預かり案内する。C社長が秘書と来店。有名歌手Dは知り合いたちと来店。席へ案内する。
これでこの時間の予約客は全て来店した。
ソムリエが料理やワインの説明をし、華やかな音楽が店内を飾る。そこへ運ばれてくる芸術作品のような料理がさらに店の雰囲気を華麗に。
客たちも料理やワインを楽しみ店内のボルテージは上がってきた。
その時、店内が一瞬で暗転する。
A夫人の悲鳴や、C社長の驚きの声が響く。しかしすぐに田辺が声をかける。
「失礼いたしました。雷の影響でブレーカーが落ちたようです。すぐに対応しますのでそのままお待ちください。」
田辺の良く通るのにもかかわらず包み込むかのような優しい声は客たちの安心へとつながった。すぐに加藤がブレーカーへと向かう。途中に何かにぶつかり倒してしまったようだが、すぐに店の明かりはつき、また優雅な音楽が流れ始め客の会話は生き生きとしだす。
加藤はすぐに何を倒してしまったのか確認しに向かう。
「ヤバい、、、」
加藤は冷や汗をかいた。加藤が倒したのは客たちの傘であった。
どの傘が誰のものなのか分からなくなってしまった。ともかく田辺に伝えに行く加藤。
田辺はお客様たちも自分の傘くらいわかるであろう。と加藤を励まし整然と並べておくように促した。
そのあともシェフのつくる料理が客たちを楽しませ、ドルチェを食べ終わるころには客たちは、ワーグナーの長編オペラを見たこのような感覚になる。ワインのアルコールもまわり、上機嫌になった客たちで店はその時間帯のグランディオーソをむかえたかのようだ。
そろそろ次の予約の客のために田辺が帰宅を促す。
A夫妻とC社長たちが会計を済ませ店を出ようとしている。
「私たちの傘を下さる?」
とA夫人が。
「すみません。先ほどの停電の中で傘立てを倒してしまいまして。お客様自身で傘をお取りいただいてもよろしいでしょうか。」
まだ若く、かわいらしい顔をした加藤が申し訳なさそうに伝えるものだから。A夫人も何の嫌味もなく了承した。
A夫人が自身と旦那の傘を取り店を出ようとすると
「まちなさい!その傘は私がパリで、妻に購入したものではないか!」
と怒鳴り声に近い声がA夫人にむけられる。振り向くとB一家のある男が席を立って声を発している。
「何を言っているの?これは私たちが先日ヨーロッパ旅行へ行った時のものだわ。」
A夫人はそういい返す。
田辺が慌てて近づき、声をかける。
「失礼いたしました。こちらの不手際で傘立てを倒してしまったためにお客様方の傘が混同してしまいました。お食事中の方もいらっしゃいますが、皆様、ご自身の傘をお取りいただいてもよろしいでしょうか?」
客たちの中にはぶつぶつと文句を言うものもいたが皆、自分の傘を取りに席を立った。するとやはり残ったのはA夫人が持ち出そうとしてB一家の男に怒鳴られた、花柄の傘。そして、無地だが質感のとても良い薄ピンクの傘。どちらもセレブが持つにふさわしい傘ではある。
A夫人もB一家の男も譲らない。私のだ。俺の妻のものだ。と。
どうしたものかとほかの客がざわざわしていると、奥からこの店のオーナーの娘Hがやってきた。オーナーの娘Hは帰国子女で、モデルをしている。その整った顔と抜群のスタイルで何度も雑誌の表紙を飾っている。
「どうしましたかH様。」
田辺がたずねる。
「私の傘がなくて困っているの。こっちにないかなって思って、、、」
「あっ、ここにあったのね!これパパにパリで買ってもらったお気に入りの傘なの。
あっ、奥にこの傘があったわよ。お客様のじゃない?」
そういって、花柄の傘をA夫人から取り上げ、奥にあったという和紙でできた傘を加藤に渡し、Hは店を出た。
「と、なるとこの薄ピンクの傘と和紙の傘はどちらのものでしょうか。」
加藤が恐る恐る聞くと、
「あらやだ!勘違いしていたわっ。私のはこの和紙の傘でした。」
といってA夫人は旦那の手を引きすぐに店を出た。
B一家の男はというと
「電話がかかってきた」
と焦って店の外に出る。
花柄の傘はどちらのものでもなかったのである。素敵な傘だからこそ、つい手に入れたくなってしまったのであろう。
今日も最後の予約客が帰宅し、従業員ミーティングが始まった。
オーナーが最後に口を開く。
「お金持ちの中には、意地汚いやつがいるもんだ。そういう人が客としてうちに来てしまうと、この素敵な空間が乱れてしまう。そういう客を間接的に来店しにくくさせるというのも、うちの従業員のおもてなしだ。今日は加藤、よくやったぞ。」
「えっ?」
「なんだ、田辺言ってなかったのか。」
「はい。加藤は純粋な奴だから伝えないほうがうまくいくかなと」
「なるほどな。まあおかげで、来店するたびに店の雰囲気を崩していくA夫妻もB一家も今回のことで恥をかいたわけだから、店には来なくなるだろうな。」
都会のはずれにある小さな高級フランス料理レストランは
客を選ぶことも大事にしているようだ。