diary-sentencesのブログ

日々たらたらと小話的な物語的なのを書きます。

第二十八話 F氏

突き刺すような本格的な夏の暑さもひき、夕暮れ時になれば心地の良い気温になる。木の葉も深みのある褐色が混ざり始め、河原ではまるで浮かんでいるかのようにトンボが群れている。

 


F氏にはこの情景が、より美化されて見えていた。というのも今日は朝から想いを寄せるC子とデートをしてきた。全てプラン通り進み、日が落ちる頃に思いの丈を伝えた。晴れて2人は交際することになったのだ。F氏はトンボのように浮ついた心で河原を歩き帰宅していた。

 


C子のことを考えるだけで、暑くなってしまう。額の汗を拭おうとスラックスのポケットからハンカチを取り出したら、ついでにガムの包み紙が落ちてしまった。普段ならそのまま無視していただろうが、C子のことを考えるだけで紳士として生きていかねばと思ってしまう。F氏は立ち止まりガムの包み紙を拾った。男はすぐ女に影響されてしまうなと幸せなため息をついて歩きだそうとすると、左肩に何か影が。招待を確かめるべく首を捻ると、そこにはトンボがとまっていた。

 


F氏は虫という生物が大の苦手だ。焦って払おうとするが直接触れるのも嫌なので、水浴びをした後の獣のように全身を震わせた。しかしトンボは動かない。もうF氏はパニックだ。この世で1番近づきたくない類の生物が自分の左肩にとまっている。周りの目など気にせずシャツのボタンを外し脱ぎ捨てた。シャツの端を持って、闘牛士のようにバタバタとするがトンボは飛び立たない。シャツごとそこに捨てて帰るという発想も思い浮かんだが、今日のデート用にデパートへ出かけ高い金を払って購入したシャツだ。そう簡単には捨てられない。

 


F氏は近くから木の棒を拾ってきてトンボをつついた。それでも動かない。そこに留まったまま死んでしまったのではないかと思えるほど頑固に動かない。しかし羽は動いているから死んでいるわけではなさそうだ。シャツを脱いでから時間もたち、周りからの目も次第に冷ややかになってきた。

 


F氏はとりあえず持ち帰ることにした。

ハンガーにシャツをかけベランダに放置した。トンボを部屋に置いたまま寝るなんて考えられない。もし寝ている間に顔に乗ってきたと考えるだけで青ざめる。明日にはいなくなっているはずと自分を落ち着かせ、今日は寝ることにした。

 

夏の名残りで、エアコンをつけたまま寝てしまい寒がりながら今日も起きた。携帯を開くとC子からメールが来ていた。おはようと言ってくれる人がいるだけでこんなにも一日の始まりが気持ち良いのかと思った。しかしエアコンのおかげで気分はすぐれない。太陽の陽を浴びて体を起こそうとカーテンを開けて外を眺めた。美しい朝日に、晴れ渡った空。そしてシャツにとまったトンボ。

 

まるでトンボと交際を始めたのかと思うような感覚。

 

 

〜続く〜