diary-sentencesのブログ

日々たらたらと小話的な物語的なのを書きます。

第十八話 ある子供たちの世界

今日も子供たちによって公園は汚されていく。小学校から下校して自宅にランドセルを置き、すぐさま駄菓子屋に向かい少しの駄菓子を買い公園に集う。チャリンコを雑に乗り捨てて、ベンチに集まる。ある子供たちはカバンからゲーム機を出してピコピコと通信対戦を始める。ある子供たちはスマートフォンをいじっている。時間が過ぎると子供たちは買ってきた駄菓子を食べ始める。そしてそのごみをベンチの下にと投げ込む。ある子供は公園の砂場に投げ捨てる。この子供たちの世界の中ではいわゆるポイ捨ては批判されるものではない。この子供たちのルールの中ではポイ捨てOkなのである。そこに別の子供たちがやってきて、ポイ捨てをとがめる。ポイ捨てはだめだ。みんなの使う公園を汚すなと。しかしその説得も無駄になる。なぜならこの子供たちの世界のルールにはポイ捨て禁止という項目はないからだ。ルールが二つの世界で違うので、ポイ捨てに対する指摘は無意味と化す。

 

今日も夜のコンビニの駐車場には子供たちがたむろしている。成人前の子供たちが、法律を犯すことをファッションかのようにとらえ、慣れないたばこを吸い、お酒を飲んでいる。それは法律で禁じられていることだ。一般客からすれば駐車場にたむろしていることが一番の迷惑。コンビニの駐車場にも「長時間の滞在禁止」というような看板もある。しかし、この子供たちの世界ではコンビニの駐車場にたむろしてはいけないというルールがないため、周りの客からの視線など関係ないのだ。なぜならルールにないため。

 

今日も腹の立った相手に暴力をふるう子供たちがいる。校内の廊下で肩がぶつかったため殴った。睨むような眼で見られたから蹴った。気に障る相手を見つけると、暴力でどうにかしようとする。学校の先生が止めに入り厳しく指導するが、更生ことはない。なぜならこの子供たちの世界のルールでは、腹の立つ相手を殴ってはいけないというルールがないからだ。

 

今日も、友達が少ない子供たちがいる。授業の合間の休み時間にわざわざ友人とトイレに行ったりせず、自分の席でくつろいでいる。自分とは性格が合わない相手がいると指摘することなく、それ以上の深い関係を構築していくのをやめる。いつでも誰かといるような子供たちの世界の一員から、煙たがられることがある。ノリが悪い、つまらないと指摘される。しかし、この子供たちは変わらない。なぜならこの子供たちの世界のルールに仲良くしたくない人とも我慢して仲良くしなければならないという項目はないからだ。

 

人はみな、ある世界のトップなのである。